真砂コミュニティふれあい祭り2019 [合唱]
昨日も遅くまで練習していたというのもあったんだと思うが、早めに切り上げてくれた。せいで?、本番直前練習の集合時間まで、かなり時間が空いてしまうことに。お昼ご飯と移動の時間を入れても余裕がかなりあった。午前中の練習をもっと遅くに始めてもよかったね、とみんな思ったと思われる。でも練習できる場所の確保と、先生がどれくらい練習の必要性をその時感じるか、で練習時間も変わってくるし、集合時間を調整するのは難しいことではある。
女性5人でお昼ご飯を食べながらおしゃべりが盛り上がって大笑い。女が集まると姦しい、ほんと。
食べ終わった後、おしゃべりもしながら私は次の声楽の練習曲 ganymed のドイツ語の単語調べをやっていた。
本番直前は、いつもの真砂コミュニティセンターの音楽室で声出しをしたが、外で吹奏楽が演奏されていて、音が聴こえづらい。しかも外の音楽が楽しそうだし知ってる曲だとそっちを耳で追ってしまって合唱に集中しづらい…。ダメじゃん。吹奏楽がちょっと静かになったところで集中させた。ま、調子は悪く無さそうだ。
というわけで本番。こういう時大体プログラムは押し気味になる、と思っていたが、前の団体が早く終わったのか、10分前に会場に行ったら、すでに前の団体の姿かたちはなく、次はイクトゥスの番です、ということになっていた。が、前の団体がいなくても本来の開始時刻から始める、ということになっていたため、バラバラと入場し、適当に?立ち位置を決め、あと7-8分あるけどどうするの…?みたいな感じになって、お客さんも(多くはないけど)入っているところで声出しもできてしまった。あと2-3分というところで、もういいか、という感じで演奏開始。そんな感じだから緊張というのもほぼなかった。まあまあよい演奏ができたのではないかな。
演奏曲は
●エステルダーレンの結婚行進曲
●Bring forth my Zion
●Come unto Him
●永遠の花
●赤とんぼ
どれも短めの曲なので、もう1曲くらいあってもよかったかなーと思う。代表がMCを入れて頑張って?時間を稼いでいた。
会場はお客さんとの距離が近く、最前列のお客さんは1メートルくらいしか離れてなかった。1曲目歌ったら、私の一番近くに座っていたお客さんが、目をキラキラさせながら顔の高さで拍手をしてくれていて、あら、嬉しいわ、と思っていたら、一曲ごとにすごく熱心に拍手をしてくれた。
お約束の?アンコールの時も「アンコール!」って言ってくれて。
帰りがけに私に話しかけてきてくれて「素晴らしかった!鳥肌立ちました~」と。美浜混声合唱団でソプラノで歌っている方だそう。オープンイクトゥスいかがですか、と誘っておいた。
打ち上げは近くの団員宅。気楽でよい。ここでも大盛り上がり。
楽しかった。
明日はアサれんクラブの練習があるので、帰り際、アサれんクラブの人とは「また明日~」と言う。昨日も今日も。学校でも職場でもないところで「また明日」と言えるのって嬉しいことだな、と思う。
ポーネ・イーリス練習 [合唱]
こちらも12/15 のカフェ凡でのコンサートへ向けての練習のはず。
一応カフェ凡での演奏曲は予定では
●朝凪(佐藤賢太郎)(組曲「空の音、風の彩」より)
●ぜんぶ(相澤直人)(詩:さくらももこ)
●夢みたものは(木下牧子)(詩:立原道造)
ですが、…集まらないと練習にならない…。
みんなの都合の良い日を選んでいるはずなのに、直前で都合が悪くなったり体調悪くなったり。
まあ体調悪いのは仕方ないんだが、自分があまり風邪もひかないので(もちろん注意はしている)、なんでみんながそんなにしょっちゅう風邪ひくのかがよく分からない。
というわけで、今日もメンバー6人中5人参加予定だったけど一人風邪で4人だった。
まあ集まった人で練習をするしかないのだけど。
「ぜんぶ」も「夢みたものは」も、混声版で先に歌っているのでちょっと混乱する。特に「夢みたものは」は、混声でテナーが旋律歌ってたところをソプラノが歌うし、ソプラノが歌ってた旋律をアルトが1オクターブ下で歌うので、誰かが旋律歌うの待ちそうになったり、間違えて出ちゃったり。「ぜんぶ」は混声版も女性版も、アカペラ版とピアノ伴奏版があってそれぞれ違う。女声アカペラ版は、転調が少なくなってるのかな?歌いやすい。ソプラノは混声版より高い音があったりオブリガードがあったりして気持ちが良い。
本番が近づけば緊張感も増して、練習も充実していくことが多いから、ま、大丈夫でしょう。ということを期待する。
アサれん練習 [合唱]
台風とラグビー。ほかにも色々ニュースがあったのに、この二つに消されてしまった感じ。プロ野球とかね。まあ人それぞれ、より関係している方に関心がいくのでしょうけど。
月曜日の夜は、混声アンサンブルグループ「アサれんクラブ」の練習。アサれんといっても朝練習するわけではないが。
12月15日(土)15時~16時半に八千代台駅近くのライブカフェ凡で行われる、アンサンブルグループのジョイントコンサートに向けての練習。その1週間後にはイクトゥスの団内アンサンブル大会にも参加予定なので、それも兼ねてはいるけど。
曲と曲順もそろそろ決めていかなければ。
というところですが、メンバーがみんなお疲れモードで覇気がない。しとしと雨も降っているし。
というわけで、軽めに練習。
今のところカフェ凡でのアサれんクラブの演奏予定(候補)曲は
●雨(多田武彦)(詩:八木重吉)
●武蔵野の雨(多田武彦)(詩:大木敦夫)
●かもめ(多田武彦)(詩:中勘助)
●子守唄(三宅悠太)(詩:立原道造)
●私が歌う理由(三宅悠太)(詩:谷川俊太郎)
●わが抒情詩(千原英喜)(詩:草野心平)
(●線路は続くよどこまでも)
(●Il bianco e dolce cigno)
タダタケの雨って、というかタダタケって男声しか作ってないと思ってたら混声版があった。びっくり。
あら、静かに終わる曲が多いな…。最後の2曲はまだどうなるかわからないけど、その2曲は明るく終わるのか。ほかは「かもめ」は明るく終わる。かわいい。うーん曲順どうしよう。
ライブカフェ凡は、こじんまりしたお店だけど、グランドピアノや音響設備の整った、気さくな雰囲気のお店。軽食もあって、メニューはチラ見しただけだけど、おしゃれなお店の雰囲気からするとちょっと不思議な昭和の香りのする感じだったような。普通にお茶しに行ったらコンサートしてた、みたいな感じで聴きに行けちゃう気軽なコンサート。
ここからは少し離れた場所なので、知り合いに声かけようにも、「ちょっとお茶しに」行くには遠いのよね…。 ↓
抹茶 [医食同源]
お茶をたてる、といっても私の場合、おいしく飲めればいいというだけで、作法はほぼ、忘れた。一応若い時に3か月入門コースみたいなのに通って、お茶のたて方を習った。抹茶の量とお湯の量はこれくらいなんだな、というのを覚えて、あとは忘れた…。裏千家のだったので泡立てる方。多分私はカプチーノも好きなので、泡立ってるのが好きなんだろう。何も考えずに申し込んだけど、裏千家の方でよかった。
で、たまにお茶をたてる。でも大抵台所で立ったままお茶たてて、立ったままいただく…。そんなスタイルでいいのか…。でもちゃんと味わってはいる。と思う。
でも夏の暑い時は、熱いお茶を飲むのは暑い。
だから夏は、抹茶ラテとか抹茶ソイラテにする。濃い目に抹茶を立てて、冷たい牛乳か豆乳を足す。するとグビーっと(?!)飲めてしまう。甘味を入れたいときは豆乳入れる前にグリシンパウダーを好みで入れる。うちに砂糖は大抵、無い。
昨日は少し暑いかな、と思う気温だったので、抹茶ソイラテにした。
今日は肌寒いので、久しぶりに普通の抹茶にした。
二日連続で飲むなんて。なかなかないことだな。
もともとお茶は薬として飲まれていたらしいのに、砂糖入れたら体にいい成分を相殺してしまうような気がするし、もともとお茶を甘くするという発想は日本人にはなかったんじゃないかなーと思う。でもちょっとグリシンで甘味をつけるのもやっぱりおいしい。もう一杯飲もう。さらに、あ、もう一杯、てなることもある。昨日は2杯にしておいた。
でもやっぱり普通に温かい抹茶として飲む方が香りはたつ気がする。ほっとするおいしさ。
砂糖を加えると体にいい成分が相殺されてしまってる気がするのはチョコレートも同じ。カカオ70-80%以上じゃないと、チョコレートの体に対する良さは発揮されないのではないかなと思う。ポリフェノールが含まれているといっても、甘いチョコは砂糖の毒性の方が勝ってしまう。砂糖には中毒性もあるし。どんどん糖尿病が増えちゃう。糖尿病は万病の元と言うし。
うちでは砂糖の代わりに使うものは、グリシンパウダー、ラカント。たまにビートオリゴ糖。
その他としては甘酒(おかゆと米麹から作る)。
あとは自然の食べ物本来の甘味。果物とかも。
別に糖質制限をしているわけではないが、何も考えてないと糖分を取り過ぎてしまうのは自明だろう。おいしいものは大体炭水化物と脂肪でできている。多くの人はタンパク質とビタミンが不足している。
音楽を聴く休日 [合唱]
結構疲れがたまってたし、部屋の掃除もここ1か月は後回しになっていたので、その時間が取れて却ってよかったのかもしれない。
この間の台風15号ではさんざんだったが、今回の19号はこの辺りは前回ほどではなかった。停電も免れた。まあ外に出たら危険だったのは変わりないが。
自衛隊と電力会社の方々には特に、敬意を表する。今も川が氾濫した地域はみな大変だ。
今のお気に入りのCDは、
佐藤賢太郎(Ken-P)のコーラスセントラルCDのVol.1と2と、
交響組曲「始まりの紋章」(幻想水滸伝II」より)。
vol.1 は文部省唱歌がたくさん含まれているので、小学生向けか?と思いきや、聴いてみると「これは大人用の文部省唱歌なのね!」となる。まあ歌ったんだけど。
普通のアレンジとは違って、歌詞も付け加わっている。その歌詞がまた素敵で、素敵な音楽にのって心に染み入っていく。特に「朧月夜の涙」は歌ってても気持ちよかったけど、改めて聴くと、やっぱりいいなあ、と思う。
その他、「ネコのおくりもの」はかわいらしいし、中学生の頃を思い出すような歌、若い人への応援歌のような歌、東日本大震災の時に作られた「つながり」「前へ」など、どれも、いい歌だなあと思ってしまう。
「笑顔の魔法」は、来年の合唱団イクトゥスのフレンドリーコンサートでも歌うことが決定した大好きな曲。ちょっとソプラノにとっては前半低くてきついけど。
これで2500円はとってもお得感があって、2500円でいいの?!と思っちゃう。
Vol.2 は組曲2つと「若葉の想い」。
組曲「憧れと共に」は、歌だけでなく、音楽に魅せられた人みんなが共感するような曲なのではないかと、特に1,2,3曲目は思う。1曲目の「歌に憧れて」は「音楽に憧れて」と変えてもいいくらいな気がするし。2曲目の「音楽になって」は楽しくかわいらしい曲で、まあピアノ伴奏は大変そうなんだけど、少年ken-Pが音楽室にこっそり入ってピアノの蓋を開けてポンポンと音を出す姿をイメージしてしまってにやにやする、みたいな。
「若葉の想い」は女性版を、女声アンサンブル「ポーネ・イーリス」でも歌った。女性三部なんだけど、ほぼ全部ディヴィジョンがあるから六声で、6人で歌ったからほぼ1人1パート。ムズイ。でも中学生の初恋のような気持に戻れる、か?!
交響組曲「始まりの紋章」(「幻想水滸伝II」より)は、幻想水滸伝というゲームのゲーム音楽をオーケストラ編曲してブダベスト交響楽団の演奏をハンガリーに行って録音してきたもの。ゲーム音楽が元だからか、私はそのゲームは全く知らないけど、冒険、て感じをとても楽しめる。オリジナルの音楽も聴いてみたけど、それより音の奥行きが広くなるというか、立体的になる印象があって、オーケストラ音楽に楽しく浸れる。
コーラスセントラルVol.3とVol.4 は、この12月に発売予定だそう。これも楽しみ。
そして、この冬のコーラスセントラルVol.5 は年明け1月の成人式の祝日を含む連休。今回も参加予定。今回は予定ではオーケストラ伴奏の曲があったり、児童合唱との共演の曲があったりするので、人数が集まらないと難しいのかもしれない。集まってほしい!
http://choruscentral.com/
佐藤賢太郎 日本語混声合唱作品集 Vol. 1 [並行輸入品]
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: CLASSICAL NOVA
- メディア: CD
佐藤賢太郎 日本語混声合唱作品集 Vol. 2 [並行輸入品]
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: CLASSICAL NOVA
- メディア: CD
交響組曲「始まりの紋章」(「幻想水滸伝Ⅱ」より) Symphonic Tale: The Rune of Beginning (Music from Suikoden II) [並行輸入品]
- アーティスト: 佐藤賢太郎,ブダペスト交響楽団
- 出版社/メーカー: CLASSICAL NOVA
- メディア: CD
新聞連載小説 [小説]
まだ終わらないでほしい。終わったら寂しい。
新聞の連載小説は、自分の好みでないと途中で読まなくなって終わる。
読みたい!と思うと、読み損ねたのがあると、必死になって新聞を掘り出してきて?読む。
最近(か?)のだと
マチネの終わりに(平野啓一郎)
愛なき世界(三浦しをん)
金色夜界(橋本治)
が最初から最後まで読んだ連載。
「マチネの終わりに」は、夢中になって読んだけど、何となく、悔しい。それでいいの?
平野啓一郎作品で初めて読んだのは、京大在学中に芥川賞取って話題になった「日蝕」。漢字ばっかりで嫌になりそうなのを頑張って読んでいったら、その世界にすごーく入り込んでいってしまって、クライマックスに向かって盛り上がって…という感じだった。
「愛なき世界」は、三浦しをん節?がやはり楽しく、え?もう終わり?ここで終わり?て感じだった。
三浦しをん作品は、初めてはどれだったんだろう。何この人楽しい。と思って色々読み始めた気がする。「風が強く吹いている」は箱根駅伝ファンとしては面白すぎた。
「金色夜界」は次どうなるんだろう、とハラハラしながら読み続け、最後は衝撃的というかあっけなく、終わってしまった。
橋本治さんは連載終わってそれほど経ってない時期に亡くなったというニュースを聴いて驚いた。
やっぱり作家の好みに左右されるかな。
浅田次郎の小説はすごく私の好みに合っていて、
「終わらざる夏」
「壬生義士伝」
は読み始めたら止まらなくて泣きながら最後まで読んで寝不足にさせられた代表的な2作品…。
これからの練習曲 [声楽]
https://inoritoyumeconcert.peatix.com
が終わり、一段落。2年後に第3回ができるといいな。来年はオリンピックだし。
緊張してもちゃんといつも通り歌えるようになるのが課題。
今は部屋中がお花の匂いでいっぱい。幸せ。
直前のゲネプロが今までで最高の出来だったけど録音してなかった…。
直前のレッスン日の練習通し録音。
https://www.dropbox.com/home/20191003通し
次に練習する曲
シューベルトのガニュメート ganymed
https://www.youtube.com/watch?v=3LS6eJII89s
と
モーツァルトの Exsultate, jubilate
https://www.youtube.com/watch?v=RMi2v8-_cfs
どっちも難しそう…。だけど楽しみ。頑張ろう。
コンサート後で2週連続でレッスンはお休みなのでその間に色々聴いてみよう。
台風の影響で本日の合唱の練習はお休み。
先週にずれてたらコンサートもどうなってたか…。
今回は大きな被害が出ませんように。
合唱はイクトゥスで来週10/20(日)真砂コミュニティ祭り。
演奏曲は
●エステルダーレンの結婚行進曲
●Bring forth my Zion
●Come unto Him
●永遠の花
●赤とんぼ
栄花物語 山本周五郎 [小説]
田沼意次の政策とそれに関わる武士たちとの攻防に、二人の青年がいつの間にか巻き込まれていく。
信二郎の言葉はメッセージ性が強く、何度か立ち止まった。
「おはまに限らず、人間のすることはみな同じさ、献身とか奉公とかいうが、それはそのことが自分を満足させるから、献身的にもなり、奉公によろこびを感じもするんだ、男と女の感情もそのとおり、相手が自分にとって好ましく、その愛が自分を満足させるから愛するのさ、―人間はつねに自己中心だし、自分ひとりだという事実も動かせやしない、おはまはそれが自分にとって満足だから、苦労もし金品を貢ぎ、貞操をまもった、おれは単にその対象にすぎないんだよ」
田沼意次の印象は、歴史で習ったときは思いっきり悪かったが、池波正太郎の「剣客商売」シリーズでは好ましい人間として描かれていたので、最近では実はそんなに悪い人じゃなかったのかなという風に思っていた。ただ具体的にはよく分かっていなかった。「武士は食わねど高楊枝」とも皮肉られた精神のもとにどうしようもなくなっていた武士の経済をどうにかしようと本当に考えていたのが田沼親子だったのだ。金銭は卑しいものであり、武士が卑しいものを扱うのは許されないという固定概念が松平定信にはあって、田沼意次の政策を理解できなかった。定信だけでなく、田沼ら以外には理解できる者がいなかった。それが彼らの悲劇だった。
「めぐりあわせが悪かったんだ。…はたしてそうだろうか。いやそうではない、そればかりではない。…人間と人間との交渉は、つねに他のなにかの支配を受ける。」
真実一路 山本有三 [小説]
誠実に生きているのに、事の成り行きとのすれ違いが起きる。「どうしてわかってくれないの」という子供の気持ちが胸に響いて痛い。純真で一生懸命だけれど子供にはまだ分からない大人の世界を不審に思い、説明されれば分かるかもしれないのに隠されているという事実に悔しい思いをしたりいろんな想像をしたりする。子供が「ひねくれる」ということは、子供自身はそんな言葉を考えているわけではないだろうけど「愚直」であるということなのかもしれない。一方で大人は子供を傷つけまいとしてつく嘘を、子供が成長するにつれてほころびが大きくなり、いつ本当のことを傷つけないように話せばよいか悩む。そしてまた大人の方が気持ちはストレートに表さないから大人同士でもそれぞれの思惑はすれ違う。普段の生活で、これに似たようなことは明らかにならないまましばしば起きている事なのだろうと思う。騙したり騙されたり、そんなつもりはないのに騙していると思われたり。「嘘」のやさしさと残酷さが描かれている小説。
岩に立つ 三浦綾子 [小説]
読んでいて痛快なエピソード満載という感じの小説。正義感にあふれ、相手が上司だろうと権力者だろうと大きな声ではっきりと自分の考えを主張する。真面目だけど、暗くない、からっとした明るい前向きで純粋な性格と、キリスト教を自然体で感覚的に自分の体の中に取り入れるようにすることが出来る考え方が主人公の人間性を作り出している。幸福とはいえない少年時代を過ごしながら、ずるいこと、悪いことを許さない。なるべく対立は避けようと、言いたいことも言えずに黙りがちになる日本人に対して叱咤しているようでもある。ほんとに作ったような話ばかりなのに、実在のモデルがいるというので驚いた。自分の信念をもって誠意をこめて話せば、たいていの人間には通じるということに勇気付けられる。それでも誠意が通じない、「暖簾に腕押し」のような人間は存在するのは残念なことではあるが。