新聞連載小説 [小説]
まだ終わらないでほしい。終わったら寂しい。
新聞の連載小説は、自分の好みでないと途中で読まなくなって終わる。
読みたい!と思うと、読み損ねたのがあると、必死になって新聞を掘り出してきて?読む。
最近(か?)のだと
マチネの終わりに(平野啓一郎)
愛なき世界(三浦しをん)
金色夜界(橋本治)
が最初から最後まで読んだ連載。
「マチネの終わりに」は、夢中になって読んだけど、何となく、悔しい。それでいいの?
平野啓一郎作品で初めて読んだのは、京大在学中に芥川賞取って話題になった「日蝕」。漢字ばっかりで嫌になりそうなのを頑張って読んでいったら、その世界にすごーく入り込んでいってしまって、クライマックスに向かって盛り上がって…という感じだった。
「愛なき世界」は、三浦しをん節?がやはり楽しく、え?もう終わり?ここで終わり?て感じだった。
三浦しをん作品は、初めてはどれだったんだろう。何この人楽しい。と思って色々読み始めた気がする。「風が強く吹いている」は箱根駅伝ファンとしては面白すぎた。
「金色夜界」は次どうなるんだろう、とハラハラしながら読み続け、最後は衝撃的というかあっけなく、終わってしまった。
橋本治さんは連載終わってそれほど経ってない時期に亡くなったというニュースを聴いて驚いた。
やっぱり作家の好みに左右されるかな。
浅田次郎の小説はすごく私の好みに合っていて、
「終わらざる夏」
「壬生義士伝」
は読み始めたら止まらなくて泣きながら最後まで読んで寝不足にさせられた代表的な2作品…。
栄花物語 山本周五郎 [小説]
田沼意次の政策とそれに関わる武士たちとの攻防に、二人の青年がいつの間にか巻き込まれていく。
信二郎の言葉はメッセージ性が強く、何度か立ち止まった。
「おはまに限らず、人間のすることはみな同じさ、献身とか奉公とかいうが、それはそのことが自分を満足させるから、献身的にもなり、奉公によろこびを感じもするんだ、男と女の感情もそのとおり、相手が自分にとって好ましく、その愛が自分を満足させるから愛するのさ、―人間はつねに自己中心だし、自分ひとりだという事実も動かせやしない、おはまはそれが自分にとって満足だから、苦労もし金品を貢ぎ、貞操をまもった、おれは単にその対象にすぎないんだよ」
田沼意次の印象は、歴史で習ったときは思いっきり悪かったが、池波正太郎の「剣客商売」シリーズでは好ましい人間として描かれていたので、最近では実はそんなに悪い人じゃなかったのかなという風に思っていた。ただ具体的にはよく分かっていなかった。「武士は食わねど高楊枝」とも皮肉られた精神のもとにどうしようもなくなっていた武士の経済をどうにかしようと本当に考えていたのが田沼親子だったのだ。金銭は卑しいものであり、武士が卑しいものを扱うのは許されないという固定概念が松平定信にはあって、田沼意次の政策を理解できなかった。定信だけでなく、田沼ら以外には理解できる者がいなかった。それが彼らの悲劇だった。
「めぐりあわせが悪かったんだ。…はたしてそうだろうか。いやそうではない、そればかりではない。…人間と人間との交渉は、つねに他のなにかの支配を受ける。」
真実一路 山本有三 [小説]
誠実に生きているのに、事の成り行きとのすれ違いが起きる。「どうしてわかってくれないの」という子供の気持ちが胸に響いて痛い。純真で一生懸命だけれど子供にはまだ分からない大人の世界を不審に思い、説明されれば分かるかもしれないのに隠されているという事実に悔しい思いをしたりいろんな想像をしたりする。子供が「ひねくれる」ということは、子供自身はそんな言葉を考えているわけではないだろうけど「愚直」であるということなのかもしれない。一方で大人は子供を傷つけまいとしてつく嘘を、子供が成長するにつれてほころびが大きくなり、いつ本当のことを傷つけないように話せばよいか悩む。そしてまた大人の方が気持ちはストレートに表さないから大人同士でもそれぞれの思惑はすれ違う。普段の生活で、これに似たようなことは明らかにならないまましばしば起きている事なのだろうと思う。騙したり騙されたり、そんなつもりはないのに騙していると思われたり。「嘘」のやさしさと残酷さが描かれている小説。
岩に立つ 三浦綾子 [小説]
読んでいて痛快なエピソード満載という感じの小説。正義感にあふれ、相手が上司だろうと権力者だろうと大きな声ではっきりと自分の考えを主張する。真面目だけど、暗くない、からっとした明るい前向きで純粋な性格と、キリスト教を自然体で感覚的に自分の体の中に取り入れるようにすることが出来る考え方が主人公の人間性を作り出している。幸福とはいえない少年時代を過ごしながら、ずるいこと、悪いことを許さない。なるべく対立は避けようと、言いたいことも言えずに黙りがちになる日本人に対して叱咤しているようでもある。ほんとに作ったような話ばかりなのに、実在のモデルがいるというので驚いた。自分の信念をもって誠意をこめて話せば、たいていの人間には通じるということに勇気付けられる。それでも誠意が通じない、「暖簾に腕押し」のような人間は存在するのは残念なことではあるが。
紀ノ川 有吉佐和子 [小説]
女の力、というものを感じる。男の生き方にまで深く影響する、というよりも、潜在的な深いところで影響するのが女の力なのかもしれない。母親と娘という、嫁に出してしまえば切れてしまうかに見える、それでも互いに影響の大きい、いざとなったときには頼る、心の支えとなるつながりを根底に、大正から昭和、敗戦という時代背景の中で、家というものや結婚というものに対する価値観の移り変わりが描かれている。子供は必ずしも親の思う通りには育たない。それは遺伝にもよるだろうし時代背景にもよるだろうし環境にもよるだろう。それでも血のつながりというものを感じさせる。美しい嫁入りの風景や着物の描写にもうっとりしてしまう。
二つの祖国 山崎豊子 [小説]
戦争の愚かさと、戦争が人間を愚かにさせることを思い知らされる。戦後生まれの人間にとって戦争の悲惨さは、間接的にしか分からないから想像するしかない。白人の人種差別も、日本人の村八分の感情も、陰湿で過酷だ。憎悪は判断力を鈍らせる。移民や日系二世の存在、強制収容所のことは何となく知っていたけど、アメリカからも日本からも疑惑の目で見られていたことは知らなかった。通訳として活躍していたことも知らなかった。多くの二世が日本とアメリカの間で過酷な判断を迫られていたのだろうと思う。家族離散というのは、戦争中は二世に限ったことではないだろうが、兄弟が互いに敵国の軍人として争わざるを得ないのはどちらの国籍も持っていた二世という特殊な立場に限られる。特攻が語られる場面では、今もイラクやパキスタンで続いている自爆テロと重なった。後半は東京裁判について語られている。ここで日本の策略、それぞれの思惑と食い違い、アメリカの策略があらわになってくる。人間性や生への執着が顕わになるのは、こういうときなのだろう。東京裁判については、不公平であったのは今となっては周知の事実だが、日本人でもやはり恨みをもって裁判を見ていた人はいたのだろうと思う。色んな圧力があって、自分の望まない言動をしなければならなかったり、様々な立場の人が様々な状況で戦争という得体の知れない化け物に脅されていた、そんな印象を受けた。8月に読むには最適の本だった。
アンナ・カレーニナ トルストイ [小説]
アンナ・カレーニナは理想の女性像だ。美しくて知性があって誇りがある。が、嫉妬というのはこんなにも人を変えてしまうのか、と驚く。特に後半では対比して描かれるもう一つのカップルが美しく見えてくる。どちらの女性も好ましい人物で、こんな風になれたらなあと思う。一人ひとりの心の動きが楽しめるのは、トルストイのすごいところなのかな。トルストイが好きになった本。でもその後「戦争と平和」を読もうとして挫折した。外国作品は訳によっても読みやすさや楽しめ方が左右されるし、社会背景がよく分からないと十分楽しめない。でもこの作品は社会背景が多少分からなくても、楽しめると思う。
大変だァ 遠藤周作 [小説]
これを読むまでは遠藤周作の作品は、「沈黙」をはじめとする少し重いキリスト教に関する小説しか読んだことがなかったから、題名からして軽妙で気軽に読めるんだろうなと思っていた。読んでいる間は面白く読んでいた。読み終わってから、これは結構深刻な話なんじゃないかと思った。大げさに茶化して面白くしてあるけど、食べ物から容易に体に有害な物質が入り込む危険性が指摘されていて、話の内容も、全く現実味がないことではない。もしかしたら近い将来起こることかもしれない。起こりつつあることかもしれない。実際環境ホルモンという目には定かに見えないものに、口からだけではなく様々な侵入経路で私たちの体は侵されつつあるのだから。
氷点 三浦綾子 [小説]
読み始めたら最後までやめられないだろうな、という予想を裏切ることなく、夕方に読み始めて晩御飯もテキトーにつまむだけになって、最後まで読んでしまった。後半はそれぞれの孤独、人に愛されたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。母親であっても女としての身勝手さはどんな女性にも潜んでいるものなのかもしれない。少しずつの誤解の重なりと時間の積み重ねが、大きな過ちを引き起こす。陽子の素直で明るい性格が、小さい頃に継母の愛情をたっぷりもらったことが大きく影響していると考えると、複雑。どうして人は、その人そのもので評価しようとせず、その人の殻をわざわざ探し出してそれで評価しようとしてしまうのだろう。続編はまだ読んでいない。そのうち読む予定。
悪女について 有吉佐和子 [小説]
どんな悪女が出てくるんだろう、と思いながら読み始めた。が、話の中には直接は一度も悪女は出てこない。周囲の人物によって彼女が語られる形をとっている。彼女は「いかにも悪女」というのではない。一生懸命で、かわいらしくて、応援したくなるような女性。自分のしていることが悪いことだと思わないうちに悪いことになっている、というような、多分普通の人と少し感覚が、特に男とお金に関しての感覚が、少し違うのかな、と思いながら、でも本当のところはどうなの、と疑問に思いながら読み進んでいく。そして最後に、次男の言葉で、窓から落ちた理由が分かり、やっぱり純粋な人なんだろうなと思う、そんな話。でもほんとにそんな人がそばにいたら、もしかしたらねたむかも。